風色の本だな

風色の本だな

芥川龍之介『蜘蛛の糸』

    
   ◆ 芥川龍之介『蜘蛛の糸』◆ 


この作品は、1918年(大正7年)に鈴木三重吉らによる雑誌「赤い鳥」の創刊号に掲載されました。

子どもたちにとっては、かなり衝撃的な作品です。芥川の作品は起承転結が整っていることで、定評がありました。

ところが、1937年(昭和12年)、近代文学者の片岡良一が、この「蜘蛛の糸」を取り上げ、批判しました。

その中身とは、人間が、超人間的存在によって、人間の運命を決定されている。果たしてそれでよいのか?ただ単に、勧善懲悪の押し付けで、彼の人生観を子どもに押し付けるのは望ましくないのではないか?などでした。

講師の砂田氏は早稲田大学在学中に早大の童話会に所属していましたが、先輩である、古田足日氏も、「蜘蛛の糸」の主人公カンダタは、あやつり人形に近い役割しか与えられていないではないか?と批判したそうです。

芥川の「蜘蛛の糸」は、さまざまな研究者がさまざまな解釈をし、いやいや、芥川が本当に言いたかったことは、超自然的な力に任せてはいけない、人間自身が主体的に生きなければいけないと言いたかったのではないか?など・・・。

3~4年前、岩波の「日本児童文学名作集」の中で、千葉俊二は、「蜘蛛の糸」のカンダタは、明治の男そのものではなかったか?欧米に追いつけ追い越せの立身出世を夢見ていた男の姿ではないのか・・・。
そして、自由主義思想の中で、芥川は、もう、そういう時代ではないということを示したかったのではないか?という解釈をしました。

講師の砂田氏は言いました。結局、名作といわれるものは、その時代時代に新しい読み方ができるものである。そこに名作たる所以があるのではないかと・・。

カンダタの姿は、受験戦争にも重ね合わせることができる。また、現在の出口が見えない日本の姿そのものではないか?

大学で教鞭をとっていらっしゃる砂田氏は、「児童文学・私の一冊」というテーマで学生にレポートの提出をさせているそうで、その中にはなかなかユニークなものが出てくるそうです。

「蜘蛛の糸」を取り上げた学生のレポートをピックアップして読み上げていただきました。

●自分が小学校の低学年で初めてこの作品に出会ったとき、とにかくすごい衝撃を受けた。その頃の自分には表現する言葉も見つからなかったが、とにかく怖かったし、すごい!という思いが残った。今の自分が分析すると、この作品のすごいところは、お釈迦さまの視点で地獄を見下ろす→地獄のカンダタの視点で極楽を見上げる→そして再びお釈迦さまの視点で見下ろす-視点の転換がある-というところだ。

●大泥棒で、人殺しもした男が、たった一回蜘蛛を助けたぐらいで、極楽に行けるのなら、地獄へ落ちるものなどいないだろう。結局、芥川が言いたかったことは、過去がどうあったかは問題ではない。問題なのは今現在の心のあり様だということだ。
その他、このカンダタは人間らしくて痛快。意思と主観を持って生きよ!なんていうのもありました。

なかなか、興味深い講座でした。


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